医師・歯科医師のための「知財から考える」事業承継(第1回)

第1回 医院の承継で「知財」が問題になる?
――土地・建物・お金だけでは、医院は引き継げない

 医師や歯科医師の事業承継というと、まず何を思い浮かべるでしょうか。
 医院の土地や建物、医療機器、預貯金、借入金などの財産。あるいは、医療法人であれば、法人の経営権や役員の交代などを思い浮かべる方が多いかもしれません。
 もちろん、これらは事業承継において重要な問題です。
 しかし、医院を実際に引き継いで、その翌日からこれまでと同じように診療を続けるためには、それだけでは十分ではありません。
 例えば、次のようなものはどうでしょうか。
• 「○○医院」という医院の名称
• 医療法人の名称や「○○会」という名称
• 医院のロゴマーク
• 長年使用してきたキャッチフレーズ
• 医院のホームページ
• ホームページのドメイン
• InstagramなどのSNSアカウント
• Googleビジネスプロフィール
• 医院が蓄積してきた診療や業務のノウハウ
• 診療・受付・スタッフ教育などのマニュアル
• 患者に関する情報
• 医院独自の営業上・経営上の情報
• 医院の写真、動画、パンフレットなどのコンテンツ
 これらも、医院が長年にわたって築き上げてきた「資産」です。ところが、土地や建物のように登記簿を見れば所有者が分かるとは限りません。
「これは誰のものなのか?」
「誰が承継するのか?」
「承継後も、そのまま使ってよいのか?」
 こうした問題が、医院の事業承継では意外なところで発生します。
 そして、その中には、商標権、著作権、不正競争防止法、個人情報保護、営業秘密など、弁理士が日常的に取り扱っている「知的財産・情報管理」の問題が数多く含まれています。
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1.「医院を承継する」とは、何を引き継ぐことなのか
 例えば、父親が長年経営してきた「○○医院」を、息子である医師が引き継ぐことになったとします。
 土地・建物については、相続や売買などの手続によって承継することになるでしょう。
 医療法人であれば、法人の運営体制についても必要な手続を行います。
 では、医院の名称はどうでしょうか。「○○医院」という名称を長年使用してきたとしても、その名称について商標登録がされているとは限りません。商標登録がされていたとしても、商標権者が父親個人なのか、医療法人なのかによって、必要な対応は変わってきます。
 ロゴについてはどうでしょう。院長がデザイナーに依頼して作成したロゴであれば、著作権が誰に帰属しているのかを確認する必要があります。
 ホームページはどうでしょう。Web制作会社に作ってもらったからといって、当然に医院がすべての著作権を持っているとは限りません。
 ドメインやSNSのアカウントについても、誰が登録し、誰が管理しているのかを確認する必要があります。
つまり、「医院を引き継ぐこと」と「医院に関係するすべての権利・情報を引き継ぐこと」は、必ずしも同じではありません。
 ここが、医療承継を「知財」という視点から考える重要なポイントです。
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2.医院には「見えない資産」がたくさんある
 医院を長年経営していると、目に見える財産だけではなく、さまざまな「見えない資産」が蓄積されていきます。
 例えば、開業して20年になる医院を考えてみましょう。地域の患者からは「○○先生の医院」として知られています。医院名も地域に定着しています。
 ホームページには長年の診療実績や医院の特徴が掲載されています。
 Googleなどには口コミが蓄積されています。
 スタッフは、受付から診療までの業務手順を身につけています。
 院長は、長年の経験から、患者への説明方法やスタッフの教育方法、医院の運営方法について独自のノウハウを持っています。
 こうしたものは、貸借対照表に「医院ブランド」「ノウハウ」「信用」として一つの金額で表示されるものではありません。
 しかし、もし明日からそれらがすべて失われたら、後継者は同じ医院を経営できるでしょうか。
 おそらく、そう簡単ではありません。
 だからこそ、事業承継を考える際には、「何を所有しているか」だけでなく、「何を使って医院を経営しているか」という視点が重要になります。
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3.「○○医院」という名前を、そのまま使えるとは限らない
 特に注意したいのが、医院の名称です。
 例えば、父親が「さくら歯科医院」を30年間経営し、息子がその医院を承継するとします。
 当然、息子は「これまでと同じ『さくら歯科医院』という名称を使える」と考えるでしょう。
 しかし、ここにはいくつかの確認事項があります。
 そもそも「さくら歯科医院」という名称について商標登録がされているでしょうか。
 商標登録されているなら、誰が商標権者でしょうか。父親個人でしょうか。医療法人でしょうか。あるいは、別の法人でしょうか。
 また、医院名と医療法人名が異なる場合には、さらに整理が必要です。「医療法人○○会」が運営する「△△医院」というケースもあります。
 この場合、医療法人の名称と、実際に患者が認識している医院の名称は別物です。
 したがって、「医療法人を承継したから、医院名についても何も問題はない」と単純に考えることはできません。逆に、第三者の商標登録がないからといって、必ず自由に使えるとも限りません。
 医院の名称をめぐっては、商標だけでなく、これまでの使用状況や他人の権利など、複数の観点から検討する必要があります。
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4.患者情報も「承継」できるのか
 もう一つ、医院の事業承継で非常に重要なのが患者情報です。医院には、診療を行うために多くの患者情報が蓄積されています。
 氏名、住所、連絡先、受診歴、診療内容など、患者に関するさまざまな情報です。
 これらは、一般の会社でいう「顧客名簿」に似ている面があります。
 しかし、医療機関が保有する患者情報には、一般の顧客情報とは異なる、極めて慎重な取扱いが求められる情報が含まれます。
 そのため、「医院を承継するのだから、患者リストも当然に後継者のものになる」と単純に考えるのは危険です。
 患者情報については、個人情報保護の観点から適切に取り扱わなければなりません。
 さらに、前院長が承継後に別の医院を開設し、患者情報を持ち出した場合にはどうなるでしょうか。
「長年、自分が診療してきた患者だから、自分の情報だ」という主張が認められるとは限りません。
 ここでは、個人情報保護だけでなく、営業秘密や不正競争防止法など、知財に近い問題が関係してくる場合があります。
 このテーマは、本シリーズの後半で詳しく取り上げます。
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5.「医院のノウハウ」も承継の対象になる
 医院の承継で忘れてはいけないのが、ノウハウです。
 例えば、
• 新人スタッフをどのように教育するか
• 患者への説明をどのように行うか
• 予約・受付業務をどのように効率化するか
• クレームが発生した場合にどう対応するか
• 医院内の情報共有をどのように行うか
• 診療を円滑にするためにどのような手順を採用しているか
などです。
 こうした情報の中には、院長個人の経験や技能もあれば、医院全体で長年かけて蓄積してきたものもあります。
 特に、マニュアルや業務手順書として文章化されているものについては、著作権や営業秘密の問題が生じることもあります。
 ところが現実には、「これは先代院長の頭の中にあるものだから、承継の対象ではない」「スタッフが普通に知っていることだから、特に管理する必要はない」と考えられているケースもあります。
 しかし、医院の経営を支えている重要なノウハウであれば、事業承継の際に「何を引き継ぐのか」を整理しておくことが重要です。
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6.「知財」は、特許や商標だけではない
 ここまで読んで、「医院の承継に知財が関係するのは分かった。でも、うちには特許なんてない」
と思われた方もいるかもしれません。
 しかし、ここでいう「知財」は、特許だけを意味しているわけではありません。
 医師・歯科医師の医院経営では、むしろ、商標、著作権、営業秘密、ノウハウ、ブランド、Webコンテンツ、情報など、日常の経営に密着した知的資産が重要になります。
 例えば、医院名やロゴは商標の問題になります。
 ホームページやパンフレット、写真、動画などは著作権の問題になることがあります。
 患者情報や医院独自のノウハウは、個人情報保護や営業秘密の問題につながります。
 そして、医院が長年にわたって築いてきた「信用」や「ブランド」も、承継後の経営に大きな影響を与えます。つまり、医院の事業承継を考えるときには、「財産をどう引き継ぐか」だけではなく、「知的資産をどう引き継ぐか」という視点が必要なのです。
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7.問題は「承継後」に初めて表面化する
 こうした問題の怖いところは、承継する前には気づきにくいことです。
 例えば、親子で医院を承継する場合、「父親の医院を息子が継ぐのだから、今まで使っていたものをそのまま使えばよい」と考えがちです。
 ところが、承継後に親子の関係が悪化したらどうでしょう。
 前院長から、「その医院名は私が考えたものだから使うな」「そのロゴは私のものだ」「ホームページを閉鎖しろ」「患者の情報を使うな」「SNSのアカウントを返せ」などと言われる可能性も、理論上はあります。
 また、前院長が別の場所で診療を始め、「以前の患者にこちらの医院へ来てもらいたい」と考えた場合には、患者情報の取扱いをめぐって問題になる可能性もあります。
 つまり、承継時に何も整理していなければ、「今まで何十年も問題なく使っていたもの」が、院長交代をきっかけに突然、紛争の種になることがあるのです。
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8.だからこそ「相続が起きる前」に考えておく
 医院の事業承継や相続については、どうしても、「誰が医院を継ぐのか」「土地・建物をどうするのか」「預金やその他の財産をどう分けるのか」という問題に目が向きます。
 もちろん、それらは重要です。
 しかし、それと同時に、「医院を医院として成り立たせているものは何か」を洗い出しておくことも重要です。
医院名は誰のものなのか。
 ロゴの権利はどうなっているのか。
 ホームページやドメインは誰が管理しているのか。
 SNSのアカウントは誰が管理しているのか。
 患者情報はどのように管理されているのか。
 医院独自のノウハウやマニュアルはどこにあるのか。
 それらを誰が、どのような形で承継するのか。
 これらを元気なうちに整理しておけば、承継後のトラブルを未然に防ぐことができます。
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9.「医院の知財」を棚卸ししてみよう
 まずは難しく考える必要はありません。
 次の質問に答えてみてください。
① 医院の名称は何ですか?
② 医療法人名と医院名は同じですか?
③ 医院名について商標登録をしていますか?
④ ロゴについて、誰が権利を持っているか分かりますか?
⑤ ホームページのドメインは誰の名義ですか?
⑥ ホームページの管理者は誰ですか?
⑦ SNSやGoogleビジネスプロフィールの管理者は誰ですか?
⑧ 医院のマニュアルや業務上のノウハウは整理されていますか?
⑨ 患者情報はどのように管理されていますか?
⑩ これらを後継者が適切に引き継げる状態になっていますか?
 一つでも「分からない」という項目があれば、それは承継前に確認しておきたい事項です。
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おわりに――医院承継は「知財承継」でもある
 医療機関の事業承継では、土地・建物・預貯金などの「目に見える財産」だけでなく、医院名、ロゴ、Webサイト、患者情報、ノウハウ、ブランドなどの「目に見えない資産」も引き継がなければなりません。
そして、これらは必ずしも一人の人、一つの法人にきれいにまとまっているとは限りません。
 院長個人のもの。
 医療法人のもの。
 スタッフが作ったもの。
 外部のデザイナーやWeb制作会社が作ったもの。
 誰が管理しているのか分からないもの。
 こうしたものが混在しているケースもあります。
 だからこそ、医院の承継を考えるときには、「財産の承継」だけでなく、「知財・情報・ブランドの承継」も考える。
 この視点を持つことが、承継後のトラブルを防ぐ第一歩になります。
 

 次回は、医院承継で最も身近な「知財」の一つである**「医院の名称」**を取り上げます。
 「○○医院」という名前は、いったい誰のものなのでしょうか。医療法人名と医院名は、同じように考えてよいのでしょうか。
 そして、医院名を商標登録しておけば、承継後も安心して使い続けられるのでしょうか。
 次回は、「『○○医院』という名前は誰のもの?――医療機関の名称と商標権を考える」というテーマで、医院名に潜む知財上の問題を掘り下げます。

2026年08月21日