医師・歯科医師のための「知財から考える」事業承継(第4回)

第4回 「医院名を商標登録しておけば安心」なのか?
――商標登録だけでは解決しない医療承継の問題

「医院の名前は、きちんと商標登録してあります。」
 医院の事業承継についてお話をすると、このように言われることがあります。
 確かに、長年使用してきた医院名について商標登録をしておくことには大きな意味があります。
 第三者による同一・類似の商標の使用への対応を考える上でも、医院のブランドを守る上でも、商標登録は有力な手段の一つです。
 では、医院名を商標登録してあれば、事業承継の際にも安心なのでしょうか。
 例えば、父親が「○○歯科医院」という名称を商標登録していました。その後、医院は医療法人化され、実際の運営は医療法人が行っています。そして、息子が後継者として医院を引き継ぐことになりました。
 この場合、「商標登録してあるのだから、息子がそのまま使えばよい」と考えてよいのでしょうか。
 実は、ここには一つ重要な問題があります。
 その商標権は、誰のものなのでしょうか。商標登録がされていることと、その商標権が将来の事業承継まで適切に設計されていることは、必ずしも同じではありません。
 今回は、医院名を商標登録することの意味とともに、「誰の名義で商標登録するのか」そして「将来、誰に承継されるのか」という問題について考えてみます。
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1.商標登録は、医院の名前を守るための有力な手段
まず、誤解のないようにしておきたいのは、
「医院名を商標登録しても意味がない」わけではない
ということです。
むしろ、医院名が長年の診療によって地域に定着し、医院のブランドとして価値を持っているのであれば、商標登録を検討する意味は十分にあります。
例えば、
• 「○○医院」
• 「△△歯科クリニック」
• 「□□メディカルクリニック」
といった医院名が、患者から医院を識別するための名称として認識されている場合、その名称は医院の重要なブランド資産になっています。
商標登録を受けることにより、その登録内容の範囲で、他人による同一・類似の商標の使用に対応できる可能性があります。
つまり、商標登録は、
「医院の名前を守る」
という意味では非常に重要です。
しかし、事業承継の場面では、もう一歩先まで考える必要があります。
それが、
「誰がその商標権を持つのか」
という問題です。
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2.商標権者と医院の運営者は、同じとは限らない
例えば、開業当初、先代院長が個人で「○○医院」を経営していたとします。
先代院長は、自らの名前で「○○医院」の商標登録を受けました。
その後、医院は医療法人化されます。
現在は、
医院の運営者:医療法人
商標権者:先代院長個人
という状態になっているとします。
普段の診療では、何の問題もないかもしれません。
しかし、事業承継の場面になると、話は変わってきます。
後継者が医療法人の経営を引き継いだとしても、商標権が先代院長個人の名義のままであれば、
「医療法人を引き継ぐこと」と「商標権を引き継ぐこと」は別の問題
として考える必要があります。
特許庁も、権利者の変更について、譲渡、相続、合併などの原因に応じた移転登録の手続を設けています。つまり、登録原簿上の権利者と実際の権利の承継関係を適切に一致させることが重要なのです。
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3.先代院長個人の商標権は、相続の対象になる
さらに注意が必要なのが、先代院長が商標権を個人で保有したまま亡くなった場合です。
例えば、
先代院長個人
↓
「○○医院」の商標権を保有
↓
医療法人は別に医院を運営
↓
先代院長が死亡
という場合を考えてみましょう。
商標権者が自然人である以上、その死亡により相続が発生すれば、商標権についても相続による承継の問題が生じます。
特許庁には、相続による商標権の移転登録手続が用意されており、相続人が権利を承継する場合には、そのための登録手続が必要となります。
ここで重要なのは、
医院を継ぐ人
と
商標権を相続する人
が、必ずしも同じとは限らない
ということです。
例えば、後継者である長男が医院を承継した一方、相続人が複数いる場合には、商標権についても相続財産として整理が必要になる可能性があります。
つまり、
「長男が医院を継ぐのだから、商標も当然に長男のものになる」
と、事実上の経営関係だけで考えることはできません。
相続が発生してから権利関係を整理するよりも、事業承継の準備段階で、
「この商標権は、将来誰が保有するのか」
を考えておく方が、はるかにスムーズです。
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4.では、最初から医療法人名義にすればよいのか?
ここまで読むと、
「それなら、医院名の商標は最初から医療法人名義にしておけばよいのではないか」
と思われるかもしれません。
確かに、医院のブランドを医療法人の事業として継続的に使用していくのであれば、医療法人を商標権者とすることには合理性があります。
例えば、
医療法人○○会
↓
「△△クリニック」を運営
↓
「△△クリニック」の商標権も医療法人が保有
という形であれば、少なくとも、
「医院を運営する主体」と「商標権を保有する主体」
を一致させやすくなります。
ただし、ここでも、
「医療法人名義なら、必ず最善」
と一律に決められるわけではありません。
例えば、複数の医院で同じブランドを展開する場合や、将来の組織再編、事業の分離などを考える場合には、ブランドをどの主体が保有するのが適切かを個別に検討する必要があります。
大切なのは、
「とりあえず院長個人名義で出願する」
あるいは、
「何となく法人名義にする」
のではなく、
将来、誰がその医院を運営するのか
誰がブランドを管理するのか
承継時に誰へ引き継ぐのか
という視点から、出願人・商標権者を考えることです。
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5.「商標登録をした人」と「実際に使う人」が違う場合
医院承継では、次のような状態が生じることがあります。
商標権者:先代院長個人
使用者:医療法人
実際の経営者:後継者
あるいは、
商標権者:先代院長
使用者:後継者
医療法人:医院の運営主体
このように、
商標権者、使用者、医院の運営者がそれぞれ異なる
ことがあります。
この状態が直ちに問題になるとは限りません。
しかし、承継後に人間関係が変化した場合には、問題が表面化する可能性があります。
例えば、先代院長と後継者との関係が悪化した場合、
「その商標は私の名義だから使わせない」
という主張が出てくるかもしれません。
また、先代院長が亡くなった後、その相続人との間で商標権の帰属について問題になる可能性もあります。
こうした問題を避けるためには、
商標を誰が保有し、誰が使用するのかを、承継前に整理しておく
ことが重要です。
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6.商標権を「移転する」という方法もある
すでに先代院長個人の名義で商標登録されている場合でも、必ずしもそのままにしておく必要はありません。
例えば、将来の事業承継を見据えて、
先代院長個人
↓
医療法人
へ商標権を移転することも考えられます。
商標権については、譲渡などによる移転登録の手続が用意されています。特許庁の案内でも、権利全体を他者へ譲渡する場合の移転登録申請が示されています。
ただし、実際に誰から誰へ、どのような条件で移転するのかについては、事業承継全体との関係を考える必要があります。
単に、
「相続が面倒だから、法人に移してしまおう」
という発想だけで決めるのではなく、
• 医療法人の承継方針
• 後継者の決定状況
• 他の相続人との関係
• 医院ブランドの将来
• 税務上・法務上の問題
なども含めて検討する必要があります。
弁理士が関与する場合にも、商標権の移転だけを切り離して考えるのではなく、必要に応じて税理士や弁護士、司法書士などの専門家と連携することが重要になるでしょう。
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7.商標登録をしていても、「医院名を使い続けられる」とは限らない
ここで、もう一つ考えておきたいことがあります。
商標権を適切に承継できたとしても、
医院名をこれまでと全く同じ形で使い続けることが、常に最善とは限りません。
例えば、先代院長の個人名を含む医院名の場合です。
「山田太郎歯科医院」
という名称を、息子である次の院長が承継したとします。
商標権上の問題がなくても、
「新しい院長も山田太郎なのか」
と患者が混乱する可能性があります。
また、後継者がまったく別の診療方針を打ち出したい場合には、先代の名称やブランドをどこまで引き継ぐのかという経営上の問題も生じます。
つまり、商標登録は、
「その名称を守るための制度」
ではありますが、
「その名称を今後も使うべきか」
という経営判断まで決めてくれるものではありません。
事業承継では、
• 先代のブランドを維持するのか
• 一部変更するのか
• 新しいブランドに移行するのか
という視点も必要です。
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8.商標登録は「承継対策」の一部にすぎない
ここまで見てきたように、商標登録は重要です。
しかし、商標登録だけで医院のブランド承継が完成するわけではありません。
例えば、医院の名称を商標登録していても、
• ロゴの著作権が整理されていない
• Webサイトを管理できない
• ドメインが先代院長個人の名義になっている
• Googleビジネスプロフィールの管理者が不明
• SNSのアカウントがスタッフ個人のものになっている
という状態では、医院のブランドを十分に引き継いだとはいえません。
商標は、医院のブランドを構成する重要な一部です。
しかし、ブランドそのものは商標権だけではありません。
名称、ロゴ、Webサイト、患者との接点、地域での信用など、さまざまな要素から成り立っています。
したがって、
商標登録をしたから安心
ではなく、
商標を含めた医院のブランド全体を、誰がどのように承継するのか
を考える必要があります。
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9.承継前に確認したい「商標の7項目」
医院の事業承継を予定している場合には、少なくとも次の点を確認しておくとよいでしょう。
① 医院名について商標登録をしているか
まず、登録の有無を確認します。
② 商標権者は誰か
先代院長個人なのか、医療法人なのかを確認します。
③ 医院の運営主体と商標権者は一致しているか
一致していない場合には、その理由と今後の取扱いを確認します。
④ ロゴやキャッチフレーズについても商標登録されているか
医院名だけではなく、ブランドを構成する他の要素も確認します。
⑤ 商標権の登録内容は現在の事業に合っているか
実際にどのような役務について商標登録されているのかを確認します。
⑥ 将来、誰が商標権を保有するのか
先代院長、後継者、医療法人など、承継後の権利者を検討します。
⑦ 相続が発生した場合にどうなるか
個人名義の場合には、相続による承継が問題となる可能性があります。
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10.「商標を登録する」ことと「商標を承継する」こと
今回、最もお伝えしたいのは、この違いです。
商標を登録すること。
そして、
商標を適切に承継できる状態にしておくこと。
この二つは別の問題です。
開業時には、
「どんな名前にするか」
「商標登録できるか」
ということが重要になります。
しかし、医院が10年、20年と続き、事業承継を考える段階になると、次の問題が出てきます。
「その商標は今、誰のものか」
「後継者は、その商標を使い続けられるのか」
「先代院長が亡くなった場合はどうなるのか」
「医療法人と商標権者の関係は整理されているのか」
この視点がなければ、せっかく取得した商標権が、承継時にはかえって整理すべき「権利」になってしまうこともあります。
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おわりに――商標登録は「ゴール」ではなく、承継設計のスタート
医院名を商標登録することは、医院のブランドを守るための重要な手段です。
しかし、事業承継という視点から見ると、重要なのは、
「登録したかどうか」だけではありません。
誰が商標権者なのか。
誰が実際に使用しているのか。
将来、誰が医院を承継するのか。
商標権は、その人や法人に適切に引き継がれるのか。
こうしたことまで考えて、初めて商標が「承継できる資産」になります。
特に、先代院長個人の名義で商標登録されている場合には、医院の承継とは別に、商標権の承継について確認が必要になることがあります。特許庁でも、譲渡や相続などによる商標権の移転登録手続が定められています。
これから医院の事業承継を考えるのであれば、一度、自院の商標について、
「登録しているか」
だけでなく、
「誰の名義になっているか」
を確認してみてください。
そこから、医院の「見えない資産」の承継対策が始まります。

次回は、商標やロゴとは少し違った角度から、医院承継における重要な情報資産を取り上げます。
第5回 患者リストは「医院の財産」なのか?――承継時に最も慎重に扱いたい患者情報
というテーマで、患者情報を「一般企業の顧客リスト」と同じように考えてよいのか、そして医院の承継に際してどのような視点が必要なのかを考えていきます。

2026年09月11日